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大原清光
​真言宗高野山派 尼僧

1967年生まれ 広島市出身

  • 高野山真言宗 僧侶

  • 高野山専修学院尼僧部卒

  • 中国占星術 算命学鑑定師

  • ​タロット鑑定

~尼僧への道のり~ 

特に出生の秘密はありません

 

広島で祖父の代から会社を経営する家の第一子長女として冬の清々しい朝に生まれました。

1967年、時代は高度経済成長期の後半です。

祖父が創業した会社は父の代で急成長し、活気の溢れる豊かな家庭で育ちました。

 

 

後から気づく「これが原点」

 

三歳の頃から、祖父母の家の仏壇の前で経本を開いてお寺ごっこを楽しむ女の子でした。

最初はお供え物が目当てでしたが、いつしか仏壇の前が大好きな場所となり、時間があればそこで遊ぶので大人たちは風変わりな子供と思っていたようです。

しかし、仏壇の前にいると何かに守られていると感じました。この世の中は何かと繋がっている。幼いながらにもそのなにか目に見えない世界に想いを馳せていました。

その後、妹弟が生まれました。成長に伴い自立心も芽生えました。また親からの長女としての期待に応える反面、型にはめられることへの反発心も育っておりました。

いつしか大きくなるにつれ仏壇前での「至福の時間」はなくなりました。

「なにかが足らない」どこか遠くから心を震わせていたのですが…。

 

 

私が中心で世界は回っている!…はずが

 

10代は部活に打ち込み、仲間と笑い涙し、絵に描いたような「ザ・青春時代」でした。

けして我がままではないけれど、若さゆえの尖った感性を全開に広島の町を駆け抜けていました。「アンタはお嬢さまだから」そんな友人の言葉もあたりまえの日々でした。

20代は恋愛と仕事に明け暮れ、「ザ・トレンディドラマ」さながらです。

時代の後押しもあり、やりたいことはすべてやる。怖いもの知らずに仕事を突き進める私を上司も同僚も「君の破天荒ぶりは大胆で気持ちがいいね」と言って応援してくれました。

そして、ドラマのハッピーエンドはまわりが羨む結婚でした。

楽しく充実した日々を満喫していると思い込もうとしていました。

しかし「なにかが足らない」ことを忘れるために若いエネルギーをがむしゃらに注ぎ込んでいたのです。

 

 

人生どん底 ~泥にまみれて~

 

夫の転勤で東京へ。人並み以上に恵まれた幸せに自分を当てはめてもどうしても満足できない自分がいました。手探りの中すべてを投げ出すようにとりあえず離婚の道を選び、まわりを驚かせました。

30代は実家からも自然と距離が生まれ、東京の地で生き抜くために朝昼夜と働きました。

しかし、「自分で在ろう」と頑張れど「まさかの連続」人生。

有名企業で成果を出せば何故か何かに邪魔され、転職しても次から次へと襲ってくる荒波。

「仕事で身を立てようと労力も時間も惜しみなく注いでいるのにどうして?」
自画自賛で恐縮ですが私けっこう仕事します(笑)。

先の見えない不運に焦りと憤り、不安定さに虚しさを感じました。

そんな状態に次第に追いつめられ、ただただ生きるためにもがく日々でした。

「自分で選んだ道」と己に言い聞かせても、いつ終わるのかわからない底なし沼の泥にまみれてもがく日々に疲れ果てていました。

 

 

宿命的な出会い「そういうことだったのか!」

 

ただ刹那的に息をしている状態の私に転機が訪れました。

とあるきっかけで、中国占星術の算命学(※1)に出会いました。

「ああ!私の人生はこういうことだったんだ!!」

 まさに“目から鱗”とはこういう瞬間なのですね。

算命学が示す私の宿命は、今までの生き方と全く逆のものでした。

私の宿命は世間の思う「安心」「安定」を求めてはいけない生き方だったのです。
波乱万丈の中でこそ力を発揮する宿命でした。

安定した結婚、有名企業でのキャリアの中で、自分で在ろうともがけばもがくほど人生が停滞し自分を見失うのは至極当然のことだったのです。

算命学との出会いで、昨日までの出来事はただ辛いものではなく、本当に必要な経験に変わったのです。

算命学に出会う以前は藁にもすがる思いで占いやスピリチュアルの鑑定に幾度となく足を向けました。しかし「なぜ自分の人生はこんなにも安定がないのか・・・」を教えてくれる人はいませんでした。「だったら自分で勉強しよう」と算命学を学び自分と向き合うと決めたのです。

 

 

迷っている方々に伝えたい

 

取り憑かれたように、算命学をとおして人生の勉強がはじまりました。

深く学ぶほど自然の摂理の奥深さに感銘するばかりでした。

「自分らしく生きる」ことの真の意味を追求した「ロジック」に基づいて語られる算命学の世界が私を変えてくれました。

そして実感しました。その人の持っている「世界」に逆らわなければ、その人らしく生きられる、すなわち生きやすさに繋がるのです。これが本質で生きるということなのです。

そして私のこれまでの試練は、同じように迷っている方々にお伝えするための必要な過程だったのです。

かなり痛すぎる30代でしたが、身体を張った経験を笑い話にしてお伝えしています。

 

 

原点回帰

 

算命学を習得し、迷っている方々に本質をお伝えすることを役割として10年が経ちました。しかしまだ「なにかが足らない」のです。

自分の本質を生きているのは確かなのですが、それでもまだ「なにかが足らない」のです。

それは、三歳の頃感じていたものでした。

「仏壇の前で守られている感じ」

「この世の中は何かと繋がっている」

「目に見えない世界に馳せたに想い」

私には、さらにその先に続く道があると気づきました。

さすが私の宿命です。波乱万丈の中にこそ自分の本質があるようです。

やっとあの頃に感じていた思いを果たすための土台が整ったのです。

そう確信したとたんに、申し合わせたように師(※2)と仰ぐ方との善き出会いに恵まれました。

 

 

本当の扉を開く

 

私の本当の生き方に気がついてから10年が過ぎ、新たな人生の旅がはじまりました。

45歳の春から大阪在住の師のもとに通い、ご神仏の世界の勉強が始まりました。

師のもとで、現実を見据えながら、万物を通して精神性や霊性について学んでいくことが「これまでの集大成」と「新たな自分探し」になると確信しました。これが私の一生をかけて取り組む課題なのです。

師のもとではご神仏に沿わせていただき、現実の世界では人の欲や煩悩に向き合う日々が始まりました。

その中で第二の運命の出会いが待っていました。
師から「娘の光穂です」と紹介されたのです。

その女性は生まれ持ってご神仏と繋がる能力を持っていました。その方の世界の中では、彼方の世界も此方の世界も同じ。テレビなどでもてはやされる霊能力者とは違い、その女性にとってはそれが特別なことではなく日常の景色だったのです。

だからこそ、その景色から見聞きし感じたものをあたりまえに受け取り伝えることができるのです。人に喜びを与えるお役目、人の助けになるお役目、何よりご神仏のお役にたてる「本物」の方なのだと、全身に衝撃が走ったことを今でもはっきり覚えています。

そしてその方と共に、私も自分にできる役目を果たす機会を頂きました。

 

 

尼僧への道

 

師の繋いでくれたご縁で光穂先生と共に活動して5年が経った頃から、「自分は僧侶」の道へ進むのだと感じ始めていました。

そして大いなる存在から「高野山」へ上がるよう啓示をいただき、また再び一切を手放し「身ひとつ」で高野山へ向かいました。

一切を手放したものの、今回は30代のあの時の「何もかも失った」不安感や暗闇ではありません。光に導かれて悦びの中での四度加行(しどけぎょう)(※3)となったのです。

有り難いことに、本山直轄の教育機関で学べた事は、今の自分の大きな支えとなっております。さらに言えば「ご神仏のご尊顔に泥を塗らぬよう」と自分を律して生きることに繋がっているのです。今でも、あの「伝法灌頂(でんぽうかんちょう)(※4)」という儀式に上がらせて頂けた日のことは自分の人生の中での一番の悦びです。

そして行を終え、その後しばらく高野山での暮らしを経て下山しました。

満を持して真言宗高野山派の僧侶としての肩書で、敬愛する光穂先生との活動を再開し今日に至っております。

私には特別な能力はありません。ただひたすら愚直に自分の出来る事を誠実に一点の曇りもなく行いをさせていただくことが今の自分の役目と感じております。

皆さまの迷いや願いをありのまま受け取り、それをご神仏に言霊でお届けし、皆さまの想いが叶うという循環をひたすら続けていくことが私の学びともなっております。

また、見えない存在の方々にお経をお唱えして悦んでいただくのは、私にとって至福の時間であります。

 

 

蓮伽の役目

 

これまでの経験や知識、ご神仏への感謝の伝え方やお力の借り方等など、それらを皆さまに惜しみなくお渡しできるように蓮伽を設立いたしました。

お渡ししたいもの、お伝えしたいものがたくさんございます。

ですが、個々のタイミングを含めその方の環境や状態もとても大切です。

蓮伽は必要なときに必要なものをちょうどよくお渡しできるように、その方の環境や状態に合わせて、その方が望む状態に近づけるようにさまざまな準備をしております。

どうぞご遠慮なく心の内をお話しください。

 

 

蓮伽代表 大原三世子

 

 

 

※1 算命学とは一国を治めるために一子相伝で伝授されてきた学問。

現代では、算命学(宇宙・天体の法則)で導き出した「その人の宿命」を伝え、宿命をどのように現実社会で活かし、運命を自分の手でしっかり切り開いていくのかを伝えるため用いられている。

 

※2 師は、弘法大師様、伏見稲荷の神々様にご縁を頂き、密教を志して真言宗の仏門に入り、修行によって病苦から人びとを救う法力(法療力)を習得し50年以上に渡り身体的な病やストレス、精神的な病、難病奇病に悩む方々を救っている。

 

※3 四度加行(しどけぎょう)とは、密教において行者が阿闍梨となるための伝法灌頂を授かるに先立って行う四段階の加行

 

※4 伝法灌頂(でんぽうかんちょう)とは、阿闍梨という指導者の位を授ける儀式で、真言宗では伝法灌頂を受け阿闍梨位を得て、はじめて正式な僧侶と認められる。四度加行を終えた者のみが受けられる。

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